昨日、あの最初の大きな地震が起きたとき、電車の中にいました。
いったい何が起きたのかわからなかった。
ゆっくりと大きく、ものすごく長時間揺れていた気がします。
電車は全て動かなくなり、自宅の方向へ行くバスを乗り継ぎ、乗り継ぎ、最後は歩きました。
快速で20分の距離が、5時間近くかかりました。
重い本棚や冷蔵庫が移動していたり、引き戸が外れたりしていたけど、壊れたのは食器が少しだけです。停電もなく、水もガスも出ます。
家に着くまでは、自分のことで精一杯だったけれど、帰宅してテレビを見て、初めて被害状況を目の当たりにして、言葉を失いました。
余震が続き、あまり眠れないまま一夜明けて、まだずっとテレビを見ています。
あまりの被害に、涙が出ます。
孤立している人々、生き埋めになっている人々、はやく、なんとか助けてあげてほしい…。
いったい何が起きたのかわからなかった。
ゆっくりと大きく、ものすごく長時間揺れていた気がします。
電車は全て動かなくなり、自宅の方向へ行くバスを乗り継ぎ、乗り継ぎ、最後は歩きました。
快速で20分の距離が、5時間近くかかりました。
重い本棚や冷蔵庫が移動していたり、引き戸が外れたりしていたけど、壊れたのは食器が少しだけです。停電もなく、水もガスも出ます。
家に着くまでは、自分のことで精一杯だったけれど、帰宅してテレビを見て、初めて被害状況を目の当たりにして、言葉を失いました。
余震が続き、あまり眠れないまま一夜明けて、まだずっとテレビを見ています。
あまりの被害に、涙が出ます。
孤立している人々、生き埋めになっている人々、はやく、なんとか助けてあげてほしい…。
コメント
ちょうど、お出かけになっていたなんて…。
無事に帰られて、よかったです。
本当にお疲れさまでした。大変だったでしょうね。
肉体的にも精神的にも、かなりの負担だったと思いますので、
出来るだけゆっくりなさってくださいね。
ありがとうございます。
以前にも大きな地震にあった経験はあるのですが(住んでいたマンションが半壊認定されたほど)、今回の帰宅困難という状況は初めてでした。
これ以上乗れないほど混んでいるバスに乗せろと声を荒げる人もいましたし、お年寄りをいたわって優先させようとする人もいました。
わたしは最後の2時間近く歩いて帰りましたが、そうする決心がついたのは、タクシー乗り場で近くに並んでいた、同じ街の方と知り合って、お互い励ましあって行きましょうということになったからなのです。
駅前も道路も、人であふれていたけれど、嫌な場面を見たのはごくわずかで、本当にみんな冷静に落ち着いて行動していました。
地震後、なかなか芯から眠れませんが、電気もガスも水道もあって、あたたかい布団に横になれるだけで贅沢だと、被災地の映像を見て、つくづく思います。
あたたかいお茶やお味噌汁を飲むとき、被災された方のことを思います。
今ここでわたしができることは、節電と義捐金を送ることくらいしかありませんが、できるだけの協力をしていかなくちゃと思っています。
ごめんなさい、なんだかまだ気が高ぶって、長々と書いてしまって…。
書いている今も、また余震がやってきました。怖いです。