午前中はずっとベッドの中にいて、うとうとしていた。
夢を見たり、いろんなことを思い出したり、妄想したり、していた。
時々身体を起こして、窓の外を眺めた。
雨に濡れる町並みとか、川とか、傘をさしてあるく犬の散歩のひととか。
いろんな感情が、激しくこみあげたり、静かにわきあがったりする。
あまりにも静かなので、声を、出してみる。
「あああ」って。
「やだなあ」って。
「どうしよう」って。
「ばかみたーい」って。
ばかみたーい。

午後、傘をさして、すっぴんのままスーパーへ出かける。
本当言うと、顔も洗ってない。歯磨きしただけ。
雨だから猫たちもいない。つまらない。
灰色の風景の中を、のろのろ歩いてスーパーに着いたら、入り口すぐのところにずらりと並べられたいちごの赤が眩しくて美しくてどきどきした。
ひそやかなきもちで、そっとカゴに入れる。

夕方からはテレビをつけっぱなしにして、料理。
ゆでた水菜とレンジ蒸ししたささみをわさび醤油で和える。
海老とピーマンをオリーブオイルで焼いて塩胡椒。
パックからガラス器に移しただけの、もずく酢。
わたしのごはんはシンプルでかんたん。
明日のお弁当用に少し取り分けてから、ビールをあける。
テレビの音量を下げ(でも切らずに)、読書しながら、食べながら、飲む。
お行儀はよくないけれど、気楽な暮らしだ。
食べている途中で、海老にげんなりしてきた。
元夫と暮らしているときも今も、作る料理の量って、あまり変わらない。
海老やささみを1パック買えば、使い切ってしまうから。
お弁当用に少し取り分けても、たぶん以前の1.5倍は食べているんだな。
お腹はいっぱいなのに、無性にまだ料理したい気分だ。
れんこんのきんぴらでも作ろうかな。

ふたりでいた最後の頃は、料理があんなに苦痛だったのになあって、思い出す。
いろんなことを思い出す。思い出す。
でも今日は、あまりつらくはない。
ただ、誰かに料理をつくって食べさせたいなあって、ひっそりと思うだけ。
わたし、ひとりだなあって、ひっそりと思うだけ。


映画「ホノカアボーイ」を見てからというもの、ずっとロールキャベツが食べたかった。映画の帰りに買ったパンフレットには、大好きな高山なおみさんのレシピが載っていたけれども、自分のためだけに作るにはちょっとめんどくさい。ああ、でも食べたい。と、ここしばらく、心の隅っこにロールキャベツがいたのだった。

で。
今日は夕方新宿に行く用事があり、その前の空き時間に、以前買った「東京ひとりめし」という本をぱらぱら見ていたら、新宿の「アカシア」が載っていた。ずいぶん前、友だちとロールキャベツを食べたレトロな洋食屋だ!そうだそうだ、あそこへ行けば白いソースのロールキャベツが食べられる!(映画のレシピのソースはサワークリームなので、味はたぶん全然違うけれども、まあ、いいか)

というわけで、夕方、たっぷりロールキャベツを堪能してきた。
ああ、うれしい。
食べたいと何日も思いつめていたものを食べるのって、快感。
そういえば昼食はスタバでシュガードーナツを食べたっけ。
マラサダじゃないけれども、近いものはあるよね。
そう思ったら、うれしくなって紀伊国屋に寄って「ホノカアボーイ」の原作を買い、帰りの電車でのんびりと読んだ。

今日もそんないい一日。
泊まり勤務を終えてオフィスを出ると、すごく上天気だった。

明日が休みだというだけでもウキウキするのに、この青空を見たら、ああなんてすてきなの、もう、どうしてくれよう、こいつめこいつめー!っていうような(?)ハイテンションになった。
仕事で落ち込むことが多いぶん、解放されると急上昇するのかもしれないな。

一度家に帰ってから、すぐ出かけた。
日傘を持って出なくちゃと思っていたのに、あっさり忘れてきた。
まあ、いいや。
はじめての道をうろうろと歩き回り、はじめての猫たちに出会ったり、気持ちのいい路地を見つけたり、古くて大きな木を眺めてじーんと感動したり、日焼けして肌も喉もからからになり、100円のレモンティを自販機で買ってくーっと飲んでしみじみと幸せになったり、雑貨屋でとるにたらない、今すぐに必要ではない、細々した可愛らしいものを買ってご満悦になったりして、帰宅して、ビールをあける。
ああ。おいしいいいい。

そんなふうな、今日はとてもいい一日。

いっしゅん

2009年4月21日 日常
仕事中に偶然ばったり、とっても恩義がある(と勝手に思っている)作家さんにお会いしてしまった。
その方の書いた文章に、何度も何度も何度も救われたし、叱咤されたし、目を覚まさせられたし、泣いたし、げらげら笑わされたし、どれだけお世話になったかわからない。
仕事場だから、本当はいけないことだけれど、つい、小さな声で言ってしまった。
「いつも読ませていただいております。」
って。
作家さんは、一瞬きょとんとしたあとで、
「え?びっくりしたわー、こんなところで。」
っておっしゃって、笑っていらした。
本当は、もっともっとちゃんとお礼を言いたかった。
どんなに救われたか、伝えたかった。
あなたの書いた言葉を今でもメモ帳に書き留めているんです。
あなたの書いた文章の新聞の切抜きを、長い間持ち歩いていたんです。
って。
あまりにも一瞬で伝えられなかったけれど。
昨日は夜勤明けで寝不足のまま友だちと会い、昼間からお酒を飲み、夜遅くまで飲みつづけ、べろんべろんに酔ってしまった。
記憶が飛んでて、最後の方は全然覚えてない。
でも来月結婚する10年来の友人N君と、ずーっと手をつないでいた記憶がある。
だめだなあ。
酔っぱらうと、ひとの体温が恋しくなってしまう。
心の中に押し込めている、押さえつけている、さみしさがゆらゆら浮いてくる。
夫婦で来てた友だちが、ふたりで帰ってゆく姿を見て、さみしさがつのる。
昨日は、離婚してからちょうど3ヶ月目だった。
元夫と暮らしていた家を出て、一人暮らしを始めてからは、3年と1ヶ月。
わたし、いつかまた誰かと暮らすことがあるんだろうか。
誰かと暮らしたいと思うことがあるんだろうか。
二日酔いの頭でぼんやり考える。
でも自分の気持ちがよくわからない。
ただただ、さみしくて胸がしーんと冷えている。
買い物はあとまわしにして、もう少し寝よう…。

今日は、とっても仕事に行きたくなかった。
この間の失敗が、心の中で尾を引いているのである。
いまさら悔やんだって、やっちゃったものは仕方ないんだし、同僚さんたちにかけた迷惑は消えてなくならない。できること、やらなくちゃいけないことは、2回同じ失敗をしないこと。
そんなことはわかってる。
わかってるけど、正論だけど、それはキレイゴトでもある。
あーあ。
もう、ただただ単純に、「情けなーい。恥ずかしーい。行きたくなーい。」なのである。やれやれ。コドモか。

もちろん、行かないわけにはいかないので出勤したけれども、何をするにもなんだか弱気。息をひそめて気配を消していたい感じ。休憩時間の雑談にも参加したくない感じ。
でも、そうやって気配を消しつつ(?)周囲を眺めているうちに気づくこともあるわけで。
この系の質問するんだったら、気さくで話しかけやすいけど、ちょっといいかげんなところがあるAさんよりも、無口でとっつきにくいけど仕事に詳しいBさんだったんだよなー。
わたし、早く馴染もうとして焦りすぎたかなあ。
落ち着きなく、上滑りしてたかなあ。
もっと落ち着いて、少しずつ少しずつ、取り戻していくしかないなあ。
毎日毎日毎日の、ちいさなできごとがわたしを支え、わたしをつくる。

このひとつひとつのできごとが、もしかしたら、ずっと先になって思い返せば、「風が吹けば桶屋が儲かる」的なエピソードのひとつひとつなのだったら面白い。

そういうふうに思って、ささやかな日々を生きてゆくのだ。

いいこともいやなこともあるっていうのが、生きてるってことだからねえ。

(とかなんとか、一生懸命自分に言い聞かせてのりきってゆくのだ)

わたし、こんなに仕事できないやつだったのか…。
と、しみじみかなしくなってしまった。
同じ会社でも、今までの小さな支社とは違う。
やったことないことに次々に直面して、新入社員じゃないから「できません」じゃすまなくて、やるんだけれど、あれこれ抜けてたり、勘違いがあったり。
情けない。恥ずかしい。くやしい。
今日は一日どっぷりと落ち込むことを、自分にゆるしてあげたかったんだけど、残念ながら後輩女子たちとのお食事会なのだ。さすがに後輩の前で落ち込むわけにはいかない。どっちかっていうと、彼女たちの愚痴を聞いてあげなくちゃいけないほう。
さて。
カラ元気だして陽気にビールを飲んでこよう!
くやしいから、頑張るしかない。

どうにかして、夢を見ずにすむ方法はないものか。
仕事が忙しくて、身体がぐったり疲れているのに、眠って起きて余計にがっくりと疲れるだなんて、あまりにもひどいんじゃない?
もう、もう、夢なんか見たくないのに。
現実では、あのひとの笑顔なんか、もう何年も見ていないのに。
健やかにねむりたいのに。


さくらもおわり

2009年4月12日 日常
久しぶりの日曜休み。
平日だろうと日曜だろうと、休みは休みじゃないかと思うのだけど、なんだか違う。何かなあ。街中にのんびりとしたお休み感が漂ってるっていう感じかな。今まで意識してなかったけれど。

台所の収納がどうもうまくいかないので、百均へ買い物に行く。
川沿いの桜は、ほとんど散ってしまった。
これからは新緑が楽しみ。どんどん変わる風景が楽しみ。

最近は元夫のことを思い出すことが、ほとんどない。
夢に出てきたときくらいだ。
あたらしい街には、何も記憶を喚起させるものがないからだと思い至る。
そしてこの頃、ちっとも音楽を聴く気になれないのは、記憶を喚起させたくないからなのかもなあって思う。これも意識してはいなかったんだけど。

ロックグラスの中の氷をイメージする。
ゆっくり、ゆっくり、溶けて薄まってゆくといい。
痛みとか憎しみとか絶望(だと思ったもの)だとか。
ごろごろ
昨夜は初めての部署の飲み会だったのだが、わたしはとても疲れていて、あまり楽しめなかった。ずーーーーっと身体の芯に疲れと眠さがこびりついていて取れない感じだ。年ですかねえ。

早番で昼過ぎに帰ってきてすぐに、まるで水に投げ込まれた石ころみたいに、ぶくぶくと眠りの底に沈んでった。夢も見ずに眠れたのは幸いだ。夢は、疲れる。
目が覚めたら夕暮れだった。
春のスカートを穿いて、スニーカーを履いて、スーパーへ行く。
片道8分くらいの行き帰りに、3匹の猫と出会った。
1匹はもうすっかり馴染みになった子で、ごろごろ言いながら寄ってくる。
猫を撫でているあいだじゅう、風がゆるゆると吹いていた。
川沿いの桜がちらちら散って、川面に浮かんでいる。
今日もまた思った。
ここに来てよかった。
ひとりになってよかった。
って。
今日もまた、くたくたに疲れ果てるまで仕事。
いつかはこの膨大な仕事量に慣れるんだろうか?

仕事を終えて携帯をひらくと、高校時代からの友だちからメールが入っていた。「久しぶりにランチでもしようよ」って。
離婚とか引越とかにかまけて、古くからの地元友には、まだ何も連絡していなかったんだった。離婚するつもりなんだー、っていうところまでは話したけれど。
自分のことばかりに、いっぱいいっぱいになってちゃだめだな。
いざというとき、ほんとにつらいとき、話を聞いてくれるのは友だちだものね。
「ごめーん、実は…」と返事を打って、電車を下りる。

飲み屋がひしめく狭いごたごたした路地を抜ける。
いつも行くスーパーはもう閉店している。
コンビニでビールを買う。
川を渡るとき、なんだかふいに視線のようなものを頭上から感じたので、橋の上で立ち止まり見上げると、まん丸のお月様がぽっかり浮かんでいた。
それでなんだかニコニコとご機嫌なきもちになる。
今の暮らしが、わたしは楽しくて仕方ない。
仕事は本当に今までになく大変だけれど、身体は毎日くたくただけれど、それでもこのあたらしい街のあたらしい暮らしが、楽しくて仕方がないんだ。
「わたし、元気だよー」と、遠く離れた街に住む友だちに向けて、こころのなかで叫んでみる。

毎日ねむい。

2009年4月8日 日常
あたらしい仕事は不規則で、数日おきに泊まり勤務なんかもあって、毎日毎日毎日、ずーっと眠い。一昨日は11時間ぶっとおし(休憩30分)で働いていた。で、4時間くらい仮眠して、また5時間働いて終了。
こんな年齢でこんなことしているなんて、まさしく想定外だなあ(笑)。
そういうことのあれこれを、面白がらなくては乗り切れないから、疲れれば疲れるほど、こころのなかでくすくす笑う。おっかしーなあ。こんなはずじゃなかったんだけどなあ。人生は何が起こるかわからないってのは本当だわー。ああ、可笑しい。って。


それにしても毎日眠い。
睡眠時間が不規則なせいだ。
たくさんたくさん夢を見る。
このあいだは亡くなった義母が夢に出てきて、参った。
ずいぶん可愛がってもらったのに、こんなことになって合わせる顔がないのだ。
そう思う反面、「わたしはお義母さんのために、あんなに頑張ったのに、一生懸命やったのに、あのひとは…」と言いたい気持ちも湧いてくる。
もう、そんなこと考えたくない。感じたくない。
もう、終わったことだもん。
記憶って厄介だ…。



今度の仕事は不規則で、忙しくて、不慣れだからうまくいかなくて。
ああ。早く慣れたい。
久しぶりに、ひとに怒鳴りつけられて、ちょっとぐったり疲れてしまった。
だけど、あんなふうにひとを怒鳴りつけるひとのこころの中って、ちょっとよくわからないな。同じ会社で働いているもの同士で、転勤してきたばかりの不慣れな相手に対して、それほど重要な取り返しのつかないようなことでもないのにさあ。
いらいらするのは理解できるけれど、その感情を自分の中に抑えずに、すぐさまぶつけてくるのって、ちょっと、理解できない。
今日のことは、完全にわたしの失敗なので、何も言い訳できないけれども。

がんばれー。がんばれわたしー。
ひとりのお花見
今日は家の近くでお花見。
川沿いの道を上流へぶらぶらと歩いてゆくと、だんだん桜の木が増えてきて、屋台なんかも出ていて、ご家族連れやカップルや団体さんで、狭い遊歩道がごったがえしていた。
わたしはひとりぽっちであるいている。
こころがきゅっと縮こまるような淋しさを感じる。
でも、顔を上げてあるく。胸を張ってあるく。
それは、まだ五部咲きの桜を見上げるのにちょうどいい。
どうしようもなく淋しいけど、うつむいたりなんかしないんだ。
そう自分に言い聞かせてゆく。
川岸に腰掛けて、ひとりで、途中で買ったおひるごはんを食べる。
あるきながら、ひとりで缶ビールを飲む。
変な人だと思われても、かわいそうな人だと思われても、わたしはわたしの時間を楽しむのだ。

だけど。
こんな長閑な春の日に、一緒にあるいてくれるひとがいたらどんなにいいだろうって、泣きたいようなきもちになったのも本当。

この街

2009年4月4日 日常
この街
昨日はともだちと隅田川へお花見に行った。
「ほろよいセット」つきの隅田川クルーズだ。
ライトアップされた桜はまさに満開。
川岸ではたくさんの人たちが、酔っ払って賑やかにさんざめいている。
その人たちや、まだ灯りの点いているオフィスビルの窓々や、ゆっくりと川を渡ってゆく電車の灯りとその中の人影を見ていると、泣きそうになる。
たくさんのひとがいるんだなあって。
みんなきっと毎日、笑ったり泣いたり怒ったり、無気力になったり、むやみにやる気になったり、気勢をそがれて落ち込んだり、ちいさな善きところを認められて嬉しくなったり、喧嘩したり仲直りしたり、誤解したりされたり、憎んだり許したり、出会ったり別れたり再会したり、それぞれの日々を生きているんだなあって。
わたしもその中のひとりなんだなあって。
嬉しくて泣きそうになる。
この街に来てよかったなあって思う。
もちろんどこの街にも人の暮らしはあるんだけれど、今のわたしには、このたくさんのたくさんの灯りが必要なんだと思う。
仕事が忙しくて忙しくて、帰りの電車の中ではぬけがらのようになっていた。

ぼんやりしながら窓の外を見ていたら、止んでいた雨がまた降り出した。
乗り換え駅で、稲光がひかった。
最寄り駅の一つ手前の駅で、雨が激しい音をたてて打ちつけはじめた。
で、駅に降りて気づく。

あ。
傘を会社に忘れてきてしまった。
会社と駅が直結しているので、全然気づかなかった。

改札を抜け、ばらばらと叩きつけるような雨の中を走る。
雷鳴を聞きながら走る。
誰かを迎えに行くのだろう、傘を持って駅へ走るひととすれ違う。
足音は雨音と雷鳴にかき消される。
ふふふ、と可笑しくなる。
わたしなんだか野良犬みたいだ。
わたし、なんだかとっても自由みたいだ。
誰もわたしが雨に濡れていることなんか知らない。
わたしは傘を持って誰かを迎えに駅まで走ったりしない。
これはたぶん、文字で書けばとても淋しいことみたいに見えるんだろう。
でもわたしは、なんだか可笑しくて楽しくて、雨に濡れて走ったんだ。

表裏

2009年3月31日 日常 コメント (3)
あたらしい街の暮らしはたのしい。
犬や猫のマーキングのように、あちこちの路地をうろつく。
楽しくて楽しくて、道が限りなくどこかへ続いてゆくのがもどかしい。
もっとどこまでもどこまでもゆきたいのにー、なんて思いながら、家へ帰る。
もう、この部屋はわたしの家になっているのだ。

---------------

けれど。
夜眠ると、しょっちゅう元夫の夢を見る。
とりたてて劇的だとか暗示的だとかじゃない。
ふつうの暮らしの風景の中に、ふつうに元夫が出てくる夢だ。
いつか起こったことかもしれない、そうじゃなかったかもしれない。
いつか交わした会話かもしれない、そうじゃないかったもしれない。
そんなふうなありがちな(の、過去形はなんだろう。あったっぽい?)ふつうのふつうの風景。
目覚めたとき、とてつもなくさみしいこともある。
ただ、ためいきをつくこともある。
どうってことないこともある。
(しょっちゅう夜中に目が覚めるのだ、最近)
なんだろうなあ、これは。
わたしの脳味噌くんは、何をしようとしているのかなあ。
何かを訴えかけようとしているのかなあ。
忘れるなというの?
何かを淡々と整理しようとしているの?
この先ずうっとこれが続くのはつらい。
けれどすっかり忘れてしまうのは、何か違う気がする。
そういうわたしの迷いが、夢を見させているのかもしれない。

初出勤

2009年3月30日 日常
転勤先の職場へ、初出勤。
この年齢になっても、やっぱり新しい人間関係の中に入っていくのは緊張する。

今まで勤務してきた支社や営業所に比べたら、社員の数がひとけた違う支社で、部署内だけでも相当な数。挨拶して、自己紹介して、挨拶して、相手の名前を聞いて……でも、全っ然覚えられない!
あまりに多すぎるから、どんどん上書きされて、それまでの人々の顔と名前が消去されていくのだ(笑)
途中から、こんなことじゃいけないと思って、こころのなかで
「サラサラメガネ=ヤマダ」
「天パメガネ=サトウ」
「ヒゲメガネ=スズキ」
「ただのメガネ=タナカ」
などと特徴をメモってみたが、だめだった…。
同じ部署の若い男性諸君、メガネ率高すぎだ。
しかも皆、こざっぱりして中肉中背で雰囲気が似ているので困る。
すごく背が高いとか低いとか、太ってるとか、はげてるとか、えらが張ってるとか、眉毛が濃いとか、わかりやすく分類できるといいのに…。
その点、女性は外見を記憶しやすいのだけれど、名前が覚えられないのは同じ。
困った…。
日記のタイトルは、井上陽水のふるい曲のタイトル。
子供の頃からとても好きな曲だった。
引越しを考えるとき、必ずこの歌の歌詞を思い出す。

「ねぇ君、ふたりでどこへ行こうと勝手なんだが、川のある土地へ行きたいと思っていたんだ。」
http://www.youtube.com/watch?v=9d_sh9QL3so


元夫と暮らした部屋からも川は見えた。
ちいさくて水量も少なくて、高度成長期にはドブだった川(子供の頃に近くに住んでいたから、よーく知っているのだ)。

そこを出て十数年ぶりの一人暮らしを始めた街には、ゆたかな川があった。
毎日、大きな橋を渡って仕事へ行った。少し下流へ行くと、春には川の両岸の桜並木が怖いくらいに花を咲かせた。その川に、わたしは指輪を捨てて街を出たのだ。

数日前にやってきた、このあたらしい街にも可愛らしい川がある。
川幅はちいさいけれど、水量はゆたかだ。海が近いのだ。
部屋の窓から、川面に釣り船が長閑に浮かんでいるのが見える。
窓からは、すっきり晴れた朝には、富士山まで見える。
初めて関東に住むわたしなので、最初それが富士山なのだと信じられなくて、引越しの手伝いに来てくれた友達に、しつこく確認した。
幻覚じゃない?ほんものなの?なんで見えるのよ?あんなにおおきいの?

閑話休題。川の話だった。
越してきてから毎日、川べりの道をあるいて買い物に行く。
猫があるいている。
発泡スチロールのねぎの箱に花が植えてある。
干されたすててこが川風にひるがえっている。
そこから徒歩10分ほどの場所にデパートがふたっつある。
なんだか不思議だ。
徒歩圏内には、いけすかないあたらしい高層建築や、映画のセットみたいなマンションやショッピングモールが立ち並ぶ埋立地もあるけれど、少し歩けばすててこがひるがえる街なんだと思うと安心して可笑しくなる。

たった数日で、ううん、部屋探しのために初めて来た日から、わたしはすっかりこの街が気に入っている。
ここで、あたらしく生きはじめる。
嬉しい。

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