一人暮らし3度目の誕生日。
きりっと寒い朝、胸をはって、あるいて仕事に行く。
今年の初めに離婚をはっきり決めたから、今年はもう何も期待しない。夫からのメールを待つこともない。期待しないから、がっかりすることもない。
さばさばと、ひとりの淋しさを受け入れている。
朝イチで入院中の姉からお祝いメールが届いてから、次々にともだち2人、母、義兄とメールが届いた。帰宅して郵便受けを開けたら、ともだちからのポストカードも届いていた。わたしって、実はなかなかしあわせなんだと実感する。
残業せずにさっさと会社を出て、自分のためにバッグを買い(実は衝動買い。まあいいや、もうすぐボーナスだもの!)、デパ地下でおいしいものをあれこれちょっとずつ買い、お気に入りの店でちいさなケーキをふたつ買い(ひとつって、やっぱり買えないよねえ)、ちょっと迷って花は買わず、戦利品(お買い物の袋ですね・笑)を両手に下げて胸を張って、イルミネーションきらきらの街をひとりであるいた。
こころの中でエルガーの「威風堂々」を朗々と演奏しながらね(笑)。
ささやかな行軍を終え、タクシーで帰宅。
あたらしい1年が、はじまる。
がんばれわたし。
かたくな
今週半ばに気の張る仕事があって、その夜は打ち上げに行った。
久しぶりに、ひどい二日酔いになった。
やっぱり2次会なんて行くんじゃなかった。
ママさんとかオネエサンがいる店に上司に連れて行かれて、見ず知らずのおじさんのカラオケなんか聞かされて、ぜんぜんくつろげなくて、つまんなくて、疲れて。何やってんだろうなあ、わたし。帰りたいなあ。とか思いながら、作り笑顔で飲んだお酒なのがよくなかったんだ、きっと。

そして来週末は、後輩女子の担当先さんたちとの忘年会。憂鬱。
遠目に見た「きれいなおねえさん」が、隣に座ってみたら「若作りのおばさん」だった…って、がっかりさせるのは申し訳ないし、がっかりされるのは不愉快だし(苦笑)。つまりめんどくさいのだ。できるだけ気配を消しておいて、ひっそりと1次会で逃げよう…。

写真は二日酔いでふらふらの朝、目に飛び込んできた鮮やかな色。
秋も終わってしまうんだなあ。
ネットで注文していた来年の手帳が届いた。
まっさらなページが嬉しくて、むやみにぱらぱら捲っている。

で、ふと今年の手帳を見直してみた。
いろんなことが起こり始めたの(というか表面化してきたの)は、今年の1月からだったんだなあ。もう1年経つんだなあ。すったもんだの1年だったなあ。
と、ヒトゴトみたいに思う。
ヒトゴトみたいに思わなくちゃ、やっていかれないからね。リアルに思い出して、もう一度あの痛みを反芻なんかするもんかー。
来年の手帳には、美味しいものや、きれいなものや、新しく出会った場所や人のことなんかを、たくさん書けるといいなあ。

肉食動物

2008年11月22日 日常
今日はお肉を食べる。食べてやるう。
突然そう思って、ちょっとお高めの牛肉を買った。
時々むらむらっと肉食欲が湧き上がるのは、なんか自分に喝を入れたい時。
気合だー!
と、今日のわたしはアニマル。

リハビる?

2008年11月20日 日常
出先から帰ってきたら、後輩女子からのメモが机の上にあった。
彼女の担当先から来月の忘年会のお誘いがあった由。
「ぜひぜひあの『きれいなおねえさん』を誘ってほしいと頼まれたので、私の顔を立てると思って一緒に行ってください!!」とのこと。
はー。「きれいなおねえさん」ですかあ。おそれいります。わたしの席、オフィスの入り口や通路から遠いからねえ。遠目だと年齢わかんないからねえ(苦笑)。
ちょっと面倒な気もするけれど、久しぶりにそういう場に行ってみるのもわるくないかも。リハビリ?武者修行?社会復帰訓練?ああ、たかが忘年会に、なんておおげさなんだ、わたし。やっぱりまだだめかも。おひとりさままっしぐら。



マンションを共有名義から夫の名義に変えるためのあれこれを、銀行を通して手続きしている。その銀行の担当者から折々に電話がかかってくるわけだけれど、これがもう、敬語はむちゃくちゃだわ、説明はわかりにくいわで、とほほである。おそらく新卒か2年生かそこらの、20代前半男子。つまり私の息子であってもおかしくない年齢なわけだ。だがしかしもちろん私の息子なんかじゃないので、愛も義理もないわけで、単なる事務的な交渉の相手方なわけで、私の貴重な(?)時間を割いて対応してるわけで、それなのに、それなのに、ああもういらいらするったら。
とはいえこちらはお金を貸していただいている弱みがあるので、「ちょっとあんた!しゃんとしなさいよ!」と言うわけにもいかず(笑)。やれやれ。こういうのも面白がってみましょうかねえ。なんでも経験だー。はー、とんとん(←腰を叩いております。急に寒くなって、古傷が痛むのよねえ)。
けだるがってばかりもいられないので、週末はあちこちうろつき、こころに刺激を与えてみた。毎日毎日同じことを同じ場所でしてばかりいると、偏狭で独善的になりそうだ。わたしのもっともきらいなタイプの人間は、「偏狭で独善的で自信に満ちあふれている人」なので、こんなことしてちゃ危険。いつもと違う角を曲がるとか、ささいなことでも意識していかなくちゃなと思う。それはささいなことだけれど、そこに何を見つけるか何を楽しむかが、私の生きがい(とまで言う)なのだ。面白がること。

さて、そういうわけでまずライブへ行った。
お年寄りになってスタンディングのライブがきつくなったので、最近はもっぱらまったりとしにゆく。コントラバスとヴォーカルだけのユニット。あまりにも大好きなので人様に教えたくないから、ユニット名はここには書かない。ニコニコ笑って、胸がつまって、ノリノリになって、じんわりして、なつかしくて、切なくて、胸がつまって、笑って…と、いっぱい感情が振れる。アンプを通さない音と声が親密な空気をつくる。ライブの醍醐味。

翌日は、大好きなカメラマンの写真展へ。
膨大な数の作品を見ながら、あれれ?と思う。私、なんだか今、エロがだめみたいだね?直裁なヌードにも、お色気むんむんの植物にも、接写されてエロエロな食べ物たちにも、なんだか敵意を感じちゃうのだ。うううう。こんなところに後遺症が出たか(笑)。悔しい。はやく完治したい。大好きな作家さんだから。

その他、ひたすら街を歩くとか、不必要なものを衝動買いしてみるとか、今まで作ったことのない料理を作るとか、あれこれとやっても、週末ってたくさん時間があるのよね。折々に、ぼーっと空を眺めたりもした。土曜の朝は晴れで、だんだん曇ってきて、夕方から雨で、夜じゅう雨が降って、起きたら雨上がりだった。うーん、満喫。刺激的(←私って安上がりだと思う)。

けだるさつづく。

2008年11月13日 日常
手詰まり感のある毎日。
ただ待つしかないのだ。
早く本当の自由を手にできますように。
なんて書いてみて、嘘っぽいなあと自分で思う。
自由だなんて。
私は夫に束縛されてたのか?自分で自分に呪縛をかけてただけじゃないか。
考える。考えかけてやめる。記録する。記録しながら捏造する。
たちどまる。

今はただ待っている。待ってみる。
その先にある何かのことは、考えないでおく。
けだるいなあ。

けだるいなあ。

2008年11月11日 日常
うかうかしているうちに、冬っぽくなってきた。
私の一番好きな季節。秋の終わりで冬の初め。
できるだけ車を使わないで、あるいて出かけたいのに、諸般の事情でそうもいかない。でも、まあ、カーラジオからスローバラード…じゃないや、ふるいふるい歌謡曲が流れてくると、車でよかったなって思う。だからNHK-FMって好きよ。このあいだも奥村チヨの「恋泥棒」だの「恋狂い」だの、ぞくぞくと流れて心底笑いました。すげー歌詞だよなー。

なあああんだか、面倒なあれこれをとりあえずやって、今はその結果待ちなのですることもなく、かといって解放されたわけでもなく。うかうかと、けだるく過ごしているのです。あああ。つらくもなく、たのしくもなく、それでも日々は過ぎていくのだなあ。けだるい。


叔父が突然の事故で亡くなった。
いつもにこにこ笑っていて、陽気な酒飲みで、日焼けしてて、海の男で、子煩悩で、病気ひとつしなかったひとなのに。

仕事を休んで、銀行へ行ってきた。実印を押したのなんて、マンション購入した時以来。今度は手放すために押したというわけだ(苦笑)。ただしそれを簡単に住公が認めてくれるかどうかは、まだわからない。債務を夫に引き継ぐ申し込みのために押しただけ。結果が出るまで一ヶ月くらいかかるらしい。

あれはすてきな部屋だった。玄関を入って正面に天井までガラス張りの箱庭スペースがあって、私はそこに白い玉砂利を敷いて、大きな観音竹の鉢を置いていた。床の色や壁紙の色やカーテンの色を、うんうん悩んで選んだ。イタリア製の照明にひとめぼれして買ったら、10個もある電球が次々にしょっちゅう切れて大変だった。ベランダにはタイルを敷きつめて、テーブルと椅子を置いていた。夜、そこで煙草を吸いながら、電車を眺めるのが好きだった。遠くを走る夜の電車の窓に映る人影を見ると泣けてくる性分なのだ。あの頃はまだヘビースモーカーだったな。
もう半年以上、あの部屋に足を踏み入れていない。もう次に行くのは荷物整理の時だ、たぶん。それでいい。私はもういらない。ほしくない。あのすてきな部屋には帰りたくない。

来年の今頃は、どこで何をしているかなあ。
東京へ転勤したらきっと、住むのは築30年の社宅なのだけど、まあいいか。そこでニコニコと友だちと鍋でも食べていられればいいな。

あまくない日々

2008年11月3日 日常
起きたときは雨だったけれど、すぐに上がって、でもずうっと曇り空の一日。
出かける予定を取りやめにして(雨を自分に対する言い訳にして。ま、誰かと約束していたわけじゃないから、取りやめにしようが言い訳なんか必要ないのだけど)、高山なおみさんの「日々ごはん」3巻を読んで過ごした。
半年くらい前に出会って、めろめろに気に入って読み始めていたのだけれど、旦那さんの好きなごはんを作ったりする日々の描写が、ある日突然むらむらと妬ましくなってしまい(笑)、読むのをやめていたのだ。今だって妬ましくも羨ましくもあるけれど、読みたい気持ちの方が勝ったので。読みながらしみじみと、いつかまた誰かに喜んでもらうために、一緒に食べて「おいしいねえ」と言い合うために、料理をしたいなと思う。あと7巻もあると思うと、じんわりと嬉しい。
冷蔵庫にちょっとずつ残った野菜(大根、大根の茎、青梗菜、白菜ちょっぴり)と油揚げを煮ながら、itunesに作っている「おセンチな気分の時に聞く音楽ファイル」を久しぶりに流しながら、じっくり読んでいたら、「夜中に甘いキスをして…」とオザケンがあまい声で歌うので、唐突にぽろりと泣いてしまった。いいですねえ。あまいキスかあ。おざなりじゃなく、うしろめたくもなく、きれいな心であまいキスをしたのは何年前のことでしょうかねえ。ははは。

千々に

2008年11月2日 日常
金曜日、車で2時間かけて来てくれた姉と一緒に行政書士事務所に相談に行った。
ネットで調べただけでは漠然としかわからなかったことをいくつか確認し、少しは前に進めた気がした。けれど、結局は銀行や公庫の判断を待つしかないわけで、私は何をすることもできない。うまくいきますように、と、祈ることくらいかなあ。
不安だし、いらいらもするけれど、「もし銀行や公庫がだめだっていうんだったら、彼を追い出してあんたがマンションを取ればいいのよ、私が保証人になるから。それで売るなり貸すなりすればいいだけのことよ。」と姉は言う。まあ確かに、私も姉もそれなりに堅実な仕事を持っているので、二人がかりならきっと大丈夫なのだ。それに比べて夫には保証人になってくれる身内は誰もいない。可哀想なような小気味いいような後ろめたいような気持ち。

夫のいやなところ、冷たいところ、傷つけられたあれこれを思い出しては「私の14年間の結婚生活って、出会ってからの23年間って無駄だったの?」と思っては落ちこみ、だからといって、夫のいいところや楽しかったできごとなんかを思い出すと今度は「どうしてこんなことになっちゃったの?」と思って落ち込む、というふうに感情の振幅が大きくてくたくたになる。もう決断したことなのに、やっぱりまだなんだかどこか信じられないでいるみたい。あまりにもずっと一緒にいたひとだもの。
実家に帰り、姉と母とそんな話をして、母の手料理をたくさん食べて、ビールやワインや焼酎を飲んで、ふらふらに酔っ払い(母は飲めないので素面ですが)「でもでも、やっぱり、別れるっていう決断は間違ってない!」と3人で確認しあってから、ぐうぐう寝た。そして、いやな夢を見た。

はやくなにもかも終わってしまえばいいのに。


もうろう

2008年10月30日 日常
傷口はやっぱりまだ痛いんだけれど、どことなくヒトゴトみたいに感じてしまう自分がいる。あれもこれも全部、本で読んだか映画で見たか、そんなふうなヒトゴトみたい。そう感じるときって、意識がもうろうとしていて、視界にうすく紗がかかってる感じなんだ。そんな状態なのに、仕事したり運転したりしている。
あんな嘘をついたのも、つかれたのも、現実なのになあ。
あんなに一生懸命、あいされたくてがんばったことも、現実なのになあ。
あんなに毎日泣いていたことも、現実なのになあ。
みんなヒトゴトみたい。みんな夢みたい。
こういうのって、わたしの脳だか心だかが、自分の身を守るためにしていることなんだろうなあ…と、それもヒトゴトのように思っている。
こんなことでいいんだろうか。

ぽっかりあいた

2008年10月29日 日常
長い間かかって心の準備をして、あさっては実務的な相談に行くわけだが、今のところとりたててすることもなく、たんたんと仕事に行き、買い物に行き、料理を作り、ひとりでビールを飲み、本を読み、ふつうに過ごしている。
そりゃまあそうだ。すったもんだの日々も長いもの。治りの遅い怪我みたいなものだもの。ずうっと血がだくだく流れているわけではない。
かといって痛みがすっかりひいているわけではないからさあ。
きもちのはりつめかたを決めあぐねて、落ち着かないかんじ、かなあ。

早く何もかも終わってしまうといい。二度と会わないですむようになるといい。
でもわたしは知っている。怪我が治ってすっかり元気になっても、痛みの記憶は消えないものだ。まっさらの新品のわたしには戻れないのだ。長く生きていくのって大変だなあ。面白いこともたのしいことも胸ふるえることもあるから、きっとこれからもあるから、やめないけども。

雨でよかった。

2008年10月26日 日常
ひとりでゆっくりしたいのに、誰とも話したくないのに、昨日は土曜出勤で、残り僅かの社会性を振り絞ってこなした。もう、すかすかのからっぽですよ。今誰か私に話しかけても、無視するか、唸って噛み付くかしかできないかも(嘘です。きっと一見ふつうに応対できるんだろうなー。いらいらしながら)。

というわけで、今日はひきこもって思い切りだらだらするつもり。
まだ聞いてないCDが2枚あるし、読みかけの本が3冊(並行読みする悪癖があるので)と、まだ読んでない本が山ほどあるし。大好きな駅伝中継もあるし、冷蔵庫にはビールが冷えてるし、今夜は奮発して鰤しゃぶを食べるんだし、買ったばかりの部屋着はラブリーだし(絶対外で着られない可愛い系の服を着る欲望をこれで満たしているのである!)、外は雨だし。
雨が降っていると、怠惰な休日への罪悪感が半減するからいいんだ。


事務的に淡々と処理しようとしているのだけれども、ささいなことでイラっとする。仕事ならこの程度のことに、いちいち苛立たないのに。
たぶんとても慎重にやりとげなくちゃいけないことなのに、考えたくない。
もういやいやいや。って逃げ出したい。面倒くさい。考えたくない。
そんな私を見ていられないのか、姉があれこれてきぱき調べてはメールや電話をくれる。行政書士事務所にもつきあってくれることになった。
ありがたくてうれしくて申し訳なくて、どうしたらいいのかわからない。
考えようとするあれこれが、脳だか心だか、どこかそういう場所に入り込めない感じ。表面をつるつるすべって、しみこんでいけない感じ。
このままじゃたぶんいけない。もっと自分で動いて決着つけなくちゃ。ざらざらしたきもちが、脳だか心だか、どこかそういう場所に残らないようにしないと。
この期に及んで、やっぱりまだこれ以上傷ついたり不愉快になったりするのが怖いんだなあ。
つよくなること。現実的になること。

10倍大変らしい。

2008年10月21日 日常
離婚って結婚の10倍も面倒くさくて大変なんだってー。
と、その昔聞いたことがありましたが、ほんとでした。
要は、面倒くさくても楽しいことならがんばれるけど…ってことなんだな。
今日は行政書士事務所に予約を取り、夫にメールをしただけでぐったり。
明日は銀行の担当者に連絡して、なんとか夫に融資するようにしむけなくちゃ。
ああ。ああめんどくさい。でもがんばる。
全て終わったら、広沢虎造の次郎長大全集を買おう!



永遠の娘。

2008年10月20日 日常
最近の事務的進展を電話で母に伝える。
うん、うん、そお、と相槌打っていた母が、一瞬言いよどんでから、言う。
「今は大丈夫そうだけど、とうとういよいよ本当に判子押したら、あんた、また、しゅーんってなるんやろうねえ。」
ああ、うん、そうかな。ええっと、そうかなあ。
この年齢になって未だに母に心配をかけていることを思うと、こっちの言葉も詰まってしまう。

私はとうとう親というものにはならないまま終わるみたいだ。
ずうっと、母の娘であり、姉の妹であるだけ。
親の気持ち、というものは想像することしかできない。
そして、親の言葉っていうのは、いとも簡単に想像を超えちゃうんだな。
たとえば3人の子持ちの友人と私の会話はこんなふうだった。
「やっぱり自分のことより子供のことを第一に考えちゃうもの?」
「えー…と。そうねえ。というか自分と子供、分けて考えてないっていうか、自分の中に子供がごく普通にあるから、特別に子供第一とか、いちいち考えない。」
そ、そうなんですかあ。
やっぱりよくわからない。
とりあえずひとりになってでなおしてみます。
初めのうちは、おそるおそるだったのに。
相手の言動のひとつひとつの意味を深読みしたり、自分の言動のひとつひとつを後悔したりしていたのに。
だんだん慣れてきた。
離れてゆく作業に。終わらせてゆく作業に。
事務的なメールのやりとりには、もう、20年以上呼び合っていた名前は使わない。
「あなたが」とか「あなたの実印を」とか書いてる(苦笑)。
初めて出会った10代の頃から、一度だってお互いそんなふうに呼び合ったことないのにさ。
こうしてだんだん離れてゆく。
でもやっぱり今でも何度も思う。
本当に?本当に?本当に?って。
思うけれど、もう時々しか涙は出ないし、ちくちくする痛みは薄らいできた。
本当に、本当に、本当に、離れてゆくのだ。

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